食べ物の話ではありません。
どんなに話題になっても、どうしても抵抗がある。
お金を払って観る気はしない、タダだったらもっといや。お金を払ってでも
そこから逃げ出したいと思う。
それが、イマアイ。
竹内結子と中村獅童の結婚で、それからTVドラマになるってことで
また話題になっているが、話題に出るだけでいやぁな気分になる、この作品。
普段は映画に関しては「無関心」なわたしだけれど、この映画だけは観たくない、
と積極的に思う。
それは、「人の死をいじる」という禁じ手をつかっているから。もっといえばその
禁じ手を多くの人が「泣ける」といって受け入れているから。
人の死は切ない。それは、死んでしまった人の人生がそこで終わってしまうから
というだけではなく、生きている我々が死んでしまった彼らとともに人生を歩んで
いかなければいけないから。決して更新されない関係性を、消すこともできず、
持ち続けたまま生きていかなければいけないから。
身近な人の死を知っている人は気が付いているはず。
誰かが死んでしまった後ではその人に関する「真相」を知ることなどできない。
その意味では、この作品は「死」を「フィクション」として扱っている。もちろん、
フィクションで構成されている作品は多くあるが、たとえ架空のストーリーで
あっても、人が感動できるのはそこに「真の」人と人との関係性を見出せるから
ではなかったのか。
もはや人はただ単に人が死ぬだけでは泣けないのか。もし「イマアイ」のような
ことが本当に起こったら。最愛の人を2度失うことに耐えられる精神を持つ人は
そう多くはないだろう。しかし、いまや多くの人はフィクションの死に対してしか
感動できないのだろうか。
作品に対して、というよりその作品を求め、受け入れる人々に対して、苛立ちを
禁じえない今日このごろ。
実は作品は見てないんだけどね。。。
投稿者 みやがわ : May 16, 2005 11:13 PM | トラックバック